わたしだけが止まっている気がしてしまう日

わたしだけが止まっている気がしてしまう日

まわりはどんどん前に進んでいるように見える。
仕事で成果を出していたり、パートナーと穏やかな日々を過ごしていたり。
一方で私は、いま立っている場所から、一歩も動けていないような気がしていた。

「本当にこのままでいいのかな」
ふと、そんな声が胸の奥から聞こえてくる。
今やっていることは、自分が心から望んだことだっただろうか。
気づけば、「好き」や「やりたい」がわからなくなっている。
毎日の生活や、目の前のことに向き合うだけで精一杯で、気持ちをごまかしながら、なんとか今日も終わらせているだけ。

この場所は、自分には向いていないのかもしれない。
もっと他に、自分らしくいられる場所があるのかもしれない。
そう思いながらも、そこに踏み出す勇気もない。

まわりの人たちは、ちゃんと目標を持って、ライフプランも立てている。
「次はこれをやろう」と決めて、前に進んでいるように見える。
それに比べて私は、今の延長線の先に、何があるのかさえ想像できない。
未来のビジョンが浮かばないことが、こんなにも不安になるなんて。

答えが欲しくて、あれこれ考えるけれど、気づけば同じことをぐるぐると考えてばかり。
「どうすればいいの?」「これで合ってるの?」
頭の中の問いかけは止まらず、夜になっても心が休まらない。
眠りにつこうと目を閉じても、不安が忍び寄ってきて、深呼吸さえ、ただの大きなため息になってしまう。

朝になれば、昨日の疲れを引きずったまま、今日が始まる。
本当はもっと軽やかに、心からやりたいことに向かっていきたいのに、
「これが本当にやりたいことだったのかな?」と、自分自身に問いかけてしまう。
やりたいことを見つけて、自分の道を歩いているように見える人たちが、まぶしく見える。
その横で立ち止まっている自分が、取り残されているような気がする。

自分には何もない――そんな思いがふとよぎるたびに、どうしてこんなにも、自分を小さく感じてしまうのだろうと思う。
少し情けない気持ちになる。誰かに言われたわけでもないのに、自分で自分を責めて、「もっと頑張らなきゃ」「変わらなきゃ」と、無理に背中を押してしまう。

でも本当は、何も持っていないわけじゃない。
うらやましく思う気持ちの裏には 「自分も、本当はこうなりたい」という願いが、ちゃんとある。
不安や焦りは、その願いがあるからこそ生まれてくるものなのだと思う。

私が感じている「不安」の正体は、「本当はどうしたいの?」っていう、私への問いかけなのかもしれない。
心のどこかに、小さな違和感があるから、誰かと比べてしまったり、自分の足元を見失ったりするんだ。

すぐに答えが出なくてもいい。
今の自分にしっくりこないなら、それもちゃんと「気づき」なのかもしれない。

ただやみくもにがんばるよりも、一度立ち止まって、自分の声を聞いてあげる時間の方が、きっと大切。

「焦らなくてもいい」と自分に言い聞かせてみよう。
周りと同じようにできなくても、ちゃんと考えている自分を、信じてみよう。
焦ってしまっても、答えが出なくても、「そう感じている自分がいる」ということを、ありのまま、まずはちゃんと認めてあげよう。
どんな気持ちも、感じることには意味がある。
「こんなこと思っちゃいけない」なんて、切り捨てなくていい。

今はまだわからなくても、不安の奥に眠っている「ほんとうの気持ち」に気づいてあげられたら、いつか、少しずつ進みたい方向が見えてくる。
それは地図じゃなく、心のコンパスみたいなもの。
他人の地図じゃなく、自分の感覚で進んでいく道を、少しずつ歩き始めればいい。

「わたしには、わたしのタイミングがある」
誰かと比べて早いとか遅いとか、そんなことは関係ない。
遠回りに見える日々も、きっと全部、未来につながっている。

不安の中にも、光はある。
 今日の空がきれいだったこと。
 友だちが私の様子を気にかけてくれたこと。
 そんなささやかな「よかったこと」も、ちゃんと私の光になっている。
大きな夢や目標がなくても大丈夫。
今はまだぼんやりしていても、きっといつか、自分のペースで見えてくる景色がある。
「すてきな誰かになる」よりも「自分であり続ける」ことが一番大事。
だから、今はただ、今日という一日を、自分のために、楽しんで過ごしていこう。

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