「がんばらない」ができない―「休む」ことへの罪悪感

「がんばらない」ができない―「休む」ことへの罪悪感

「がんばらなくていいよ」と言われるたびに、心のどこかで覚える違和感。
まるで、自分がこれまでずっと ”ちゃんとできていなかった” とを責められているような気がしてしまう。
そう思うと、休むことに罪悪感が生まれ、ますます自分を追い詰めてしまう。

いつからこんなふうになってしまったのかな。
振り返れば、小さな頃から「がんばること」が美徳とされ、がんばっている自分に価値を見出していたのかもしれない。だから、疲れていることを認めることは、何かに負けているような気がして、無理に笑顔を作り、何とか前に進もうとしていた。

でも、ある時に気づいたこと。

頑張りすぎている自分は、どこかで「自分」を押し込めているのではないかと。
「頑張らなきゃ」という思いの裏には、自信を持ちたい、認めてもらいたい、愛されたいという願いが隠れているのだと。

がんばり続けることは、いつか限界が来ます。
今までも何度も立ち止まり、心と体が悲鳴をあげるまで気づかないフリをしていた。
でも、ふとした瞬間に訪れる「休みたい」という声を無視できなくなるほどに疲れていくつらさ。
「がんばらない」という言葉は、決して「何もしない」ことでも「弱さの表れ」でもない。
それは、自分を大切にする勇気であり、自分自身に優しくなる「選択」なのです。

休むことは「怠け」ではなく、エネルギーをチャージし、また歩き出すための大切な準備期間。
それに気づくまでに、時間がかかってしまったけれど、やっと少しずつ、自分のリズムに耳を澄ませられるようになってきた。
休みを許せない心の根っこには「完璧でなければいけない」「認められなければ価値がない」という思い込みがあったような気がする。
それは社会や周囲の価値観にすり寄ってしまった自分自身の影でもあります。
そんな思い込みを少しずつほどきながら、自己承認の積み重ねを続けることが大切。

「私は私でいい」 そんなシンプルな言葉を、毎日自分にかけてあげること。
小さな一歩かもしれませんが、それが、やがては自分を信頼する力になるのだと思います。

休む日があってもいい。頑張らない日があっても、自分の価値は変わらない。

心の奥からリラックスできた気持ちは、まるで雨上がりの空が静かに青く広がっていくように、心に穏やかな光が差し込むようでした。

これからも、自分のペースを大切にしながら、ゆっくり歩いていきたい。 そして「がんばらない日をつくってエネルギーを整えよう」という前向きな気持ちが、生活リズムも整えて、心身ともに健康な生活を送るきっかけにもなりました。

「心も体も休ませる」それはとても大事なこと。
それは、私自身への最大の敬意と愛だから。

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